こんにちは、佐藤です。お変わりありませんか?
さて、前回「わたしが障がい者福祉の道に進んだきっかけ」をお伝えしましたね。
今日は、その続きをおつたえします。
「やるしかない!」と決意した私ですが、この時、私はすでに職についていました。
ちょっとそのことをお話ししますね。
私は学卒後、北海道職員として、空知管内小中学校の事務職員として勤務していました。
学校の事務職員ではありますが、教職員として求められるものは多く、行政への対応や卒入
学式、運動会や学習発表会などの行事で児童・生徒との関わりも多くありました。
たとえば、行政から学校に配分されるお金が児童・生徒にどのように使うことがより適切なの
かを考える。そして、児童・生徒はそれに対し、どう思っているのかを直接アンケートをとるなどでの関わりです。
退職するまでの25年間、複数の学校を経験しました。
私が勤務した学校は、農業が主体の地域やかつて炭鉱で栄えた地域の学校です。それぞれの地
域によりそこの学校に通う児童・生徒も違っていました。
が、共通することもありました。
それは、その地域での各々の家庭のおかれている位置が、学校での児童・生徒の位置に直結し
ているということです。
わかりやすくいうと、、、
ヒエラルキーがあるのです。
その家が本家なのか、分家なのか。
同じグループ企業に勤めているなかでも、
親御さんが本社採用なのか、本社の下請け採用なのか、、、などなど。
それらが違えば、親の収入も違い、上の立場の子供は身なりが良かったり、まわりから一目置
かれるような空気感があるのです。
そういった環境で、下のヒエラルキーに属してしまうと、子供たちは「どうせ意見を言っても
聞いてもらえない」と、次第に希望を失ってしまう。
こんな現実を目の当たりにしてきました。
さらに、地域全体がもつ雰囲気は児童・生徒にも影響し、活気のない地域では希望や夢をこと
ばにできる児童・生徒がほとんどなく、学校全体が重苦しい雰囲気が漂っていました。
おかれている環境が人に与える影響を身をもって感じることができた25年間でもありました。
これが、福祉の道に進む前のそれまでの25年間です。
あっ!少し長くなってしまいましたね。
では、続きは次回ということで・・・
また、お会いしましょう!!
佐藤寿恵
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